今朝のデボーションはエゼキエル11章14節〜21節です。
エルサレムには、主を礼拝し続けた少数派のレムナントが存在したことを知る事ができます。また、イスラエルの民が、不信仰により、国々に散らばりましたが、主は共に居られたと書かれています。更には、不信仰であったイスラエルの民を、エルサレムに、イスラエルに導き戻され、新しい心、霊を与えられ、主に従い、民は神の民となり、神は民の神となると書かれています。
神様は私たちを見離されず、その御計画を推進されるのです。私たちの肉眼では、見離されたと感じても、神様はいつも共に居られるのです。エゼキエルでさえも同じように感じました。旧約時代の申命記でも、神様はその民を見離さないと書かれています。(参照 申命記31章6節)現代の新約の時代では、私たちクリスチャンに対しては、なお更です。(参照 へブル13章5節)
今日も、私たちの感覚で神様を判断するのを辞め、信仰により歩み続けましょう。(参照 第二コリント5章7節)
神様の豊かな祝福がありますように!
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