今朝のデボーションはエゼキエル46章1節〜10節です。
7日目の安息日に関して書かれています。しかし、キリストが十字架に架けられた後の安息は、どのようなものでしょうか。
神様が天地万物を創造されたとき、6日間働き、7日目は休まれた、と書かれています。働き続ける神様が7日目に休まれたのは、私たちが仕事から7日目に休むことを指し示されているのでしょう。(参照 へブル4章4節、10節)週休2日制、3日制、更には長期休暇などがこの世の中で導入されていますが、神様の御計画は、あくまでも6日間労働することであるのです。
更には、神様の安息に入るためには、信じることが求められます。(参照 へブル4章2節~3節)そして、何よりも動機が試されるのです。(参照 へブル4章12節)
つまり、私たちは信仰を通して、7日間安息に入り、体験し続け、肉体労働は7日目は休むことを神様は御計画されているのです。
キリストは安息日に人々を癒されましたが、(参照 ルカ13章14節)私たちの信仰生活は、何よりも神様の霊から、正しい動機をもって、スタートすることが大切です。律法学者たちは、安息日にキリストが癒す働きに関して、批判しましたが、それに対して怒りをおぼえたキリストは、何よりも動機が大切である真実を理解していました。
私たちは、旧約時代のように、神様の安息を体験するために7日目まで待つ必要はないのです。今、信仰により、安息を体験することができます。そして、6日間、誠実に働くことを神様は願われているのです。何よりも、正しい動機により、私たちの行動が導かれるように、御声に耳を傾け続けましょう。
神様の豊かな祝福がありますように!
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