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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

ルカ1章8節~17節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションはルカ1章8節〜17節です。


ザカリアの前に天使が現れ、ザカリアは恐れを感じました。ザカリアは御言葉をザカリアに届けるために現れたのです。神様が私たちに語られようとするときに、恐れを感じ、聞き逃していることはないでしょうか。私たちが御声を聞くのを妨げているものは何でしょうか。


その一つはプライドです。私たちが熱心に、誠実に信仰生活を歩んでいても、少しでも、自分自身が真面目に信仰生活を歩んでいるから大丈夫と思えば、それはプライドであり、御声を聞くのを妨げます。神様は謙る者に対して御恵みを示されます。(参照 ヤコブ4章6節)私たちがそのプライドを手放し、問題の本質に向き合うのを恐れていることはないでしょうか。


ある人に酷い事をされたけれども、その人のために祝福の祈りをしたので、大丈夫であると考えるとき、悪魔に入る隙を与えます。勿論、迫害する者たちのために祈るように聖書では教えていますし、その適用により、自由を体験することができるときもあるでしょう。しかし、必ずしも、その御言葉が全ての苦難に適用されるとは限りません。


愛は酷い事をされても、記憶しません。(参照 第一コリント13章5節)その酷い体験を、私たちの脳裏で繰り返し、思い起こすならば、私たちはその酷い体験から感じるその人に対する怒りの感情の種を、私たちの心に蒔き続ける事になります。やがて、根は深くなり、根からその酷い体験を抜くという、回復まで長い時間が必要になる状況に直面します。この根から引き抜く作業を通して、この根の正体が後ほど分かるときもあります。当然ながら、土の深いところにある根の姿は、引き抜いたときにはじめて見る事ができます。私たちがその実を見て、心の平安(参照 ガラテヤ5章22節)を失うのであれば、(参照 ヨハネ10章10節)振り払う選択が必要ですが、(参照 使徒行伝28章5節)その時点では、根底が見えないときがあるのです。根が見えた時には、私たちは自由に大きく近づいたと考えてよいでしょう。素晴らしい御恵みです。深みに、私たちのブレイクスルーへの鍵が潜んでいるのです。(参照 ルカ5章4節)


今日も御前で謙りましょう。私たちの平安を奪う、不可解な言動は何が引き起こしているのでしょうか。神様に示していただきましょう。


神様の豊かな祝福がありますように!


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