今朝のデボーションはルカ11章37節〜41節です。
この世の中の人々は外側が全てで、内側が空しいのです。キリストはこの反対である真実を伝えました。内側が何よりも大切で、外側がその実として現れるのです。このためにも、私たちは神様との親しい関係を常に持ち続けることが重要です。見えないものは永遠の価値があり、見えるものはやがて廃れるのです。(参照 第二コリント4章18節)
私たちの内側である心、考え、魂が成長し、栄えるには何を心掛けることが重要でしょうか。下記の7つのポイントが考えられます。
神様に委ねること 私たちは自らの力で何かを成し遂げようとしていることはないでしょうか。御声を聞くことさえ、自力で成し遂げようとする誘惑に直面するでしょう。そのようなとき、私たちがすべきことは、先ず神様に委ね、(参照 詩編55篇22節、第一ペテロ5章7節)静まり、(参照 詩編46篇10節)待ち望むことです。(参照 イザヤ40章31節)
酷い事をした人々を赦すこと マルコ11章25節の御言葉は、山を動かす信仰の鍵となる箇所です。なぜ、私たちが山に動くように命じても動かないのでしょうか。私たちが傷を持ち続けて、赦す選択をしていないからです。この箇所の赦すはギリシャ語でaphiémiで、許可する、苦しむなどの意味が含まれます。つまり、酷い事をされても、それに否定的に反応しないということです。私たちは酷い事が無かったかのように愛し続けるのです。私たちが酷い事をされても、反応しないで、受け止めるとき、自分は死んだも同然で、逆に復活の御恵みを体験できるのです。(参照 ローマ6章4節)私たちの戦いは人間とではなく、悪霊とであるのです。(参照 エペソ6章12節)むしろ、ブレイクスルーを体験しましょう。
私たちは素晴らしく創造されていること 私たちは自分自身を鏡で見たとき、どのように自分自身に映りますか。私たちは素晴らしく創造されているのです。自分自身のセルフイメージを低く持ち、自分を否定的に追い込むことは辞めましょう。その代わりに、私たちが恐ろしいほどに、素晴らしく創造されていることを告白し、宣言し続けましょう。(参照 詩編139篇14節)
真実を語ることに罪悪感を感じる必要は無いのです キリストが真実を語り、多くの人々が心を害され、その場を去った箇所を聖書でも見ることができます。(参照 ヨハネ6章66節)私たちの心が害される事から自由であるとき、(参照 箴言19章11節)私たちは恐れずに真実を語り、人々の心を害する恐れからも自由になります。
心地悪い状況を通過して、使命を全うしましょう キリストは十字架に架けられる前に、できるならば、その場を逃げ出したいことを伝えました。しかし、神様の御心が成し遂げられることを願い、実行に移しました。(参照 ルカ22章42節)私たちが直面している難題は人間関係でしょうか。真実の愛は、愛するのが難しい人々を愛することを通して、現わされます。神様は私たちが耐えることのできない試練は与えられません。(参照 第一コリント10章13節)
人々を変えることはできませんが、影響を与えることはできます 神様は人類に自由意志をあたえられましたから、私たちは人々を変えることはできません。しかし、影響を与えることはできます。私たちがキリストを信じる選択をしたのは、私たちが罪人であったときに、神様が良き御方であることを知ったからではないでしょうか。同じように、人々を変えるのではなく、神様が私たちを通して、益々現わされることに焦点を合わせましょう。(参照 ローマ2章4節)
愛が何よりも大切です 私たちに教会の兄弟姉妹たちが驚くような知恵が与えられ、異言で祈り、あらゆる奇跡を体験し、人々が羨むような功績を残したとしても、愛が無ければ空しいのです。私たちの人々への愛は、諦めず、最善を信じ、望みを持ち続け、あらゆる状況を忍耐するものです。(参照 第一コリント13章1節~7節)気が向かなくても愛する選択をしましょう。素晴らしいことを神様が私たちを通して成し遂げてくださいます。
私たちの霊的な魂の成長は永遠の価値がありますから、良い種を蒔き続け、収穫を信じ、期待し続けましょう。(参照 ガラテヤ6章7節)
神様の豊かな祝福がありますように!
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