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執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

レビ記11章9節~12節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションはレビ記11章9節〜12節です。


神様は引き続き、モーセとアロンに語られます。神様の御声はどのように聞くことができるでしょうか。


信徒たちには神様の御霊が与えられており、その実には喜びと平安が含まれます。つまり、信徒たちは平安の実を結び続ける中で、日々の信仰生活を歩むのが通常であるのです。平安が与えられているにも関わらず、平安があるかを確かめるのは、愚かな選択です。アダムも神様の様に創造されているにも関わらず、神様の様になろうとしたことが原因で罪を犯しました。(参照 創世記1章27節、創世記3章5節)


但し、私たちが普段から心を守り、(参照 箴言4章23節)平安(参照 ガラテヤ5章22節)の中で歩むことを妨げていることは何でしょうか。私たちの考え方が神様の御言葉と一致していないときに、平安を失います。この根底にある問題を神様に示していただき、御言葉を頂きましょう。例えば、私たちが関わりたくない人のことを考えると怒りの感情が湧き出て、可能な限り、脳裏から排除しようと努力するでしょう。しかし、逆に、その人の良い面を考えるように努めるならば、排除する必要はないでしょう。むしろ、神様が教えられていることと一致するので、考え続けても良いでしょう。(参照 ピリピ4章8節)そして、私たちの心には平安が戻ります。


聖霊様は私たちにストップサインを与えられます。(参照 使徒行伝16章6節~7節)神様は私たちに福音伝道することを命じられていますが、私たちに個別に具体的な御計画が与えられているのです。具体的に、誰に福音を述べ伝えるように導かれているでしょうか。神様が私たちに語られ、方向修正が求められていないときには、平安が保たれているでしょう。神様がこれ以上継続することを願われないのであれば、ストップサインが出るでしょう。そして、新たな道が開かれるのです。


今日、神様がこのストップサインを与えてくださるときに、私たちがその御声を聞いて、方向修正して、前進し続けることができますように。


神様の豊かな祝福がありますように!


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