今朝のデボーションはレビ記15章16節〜18節です。
キリストが十字架に架けられ、私たちの罪は赦され、病も癒されたのです。(参照 イザヤ53章5)何という素晴らしい御恵みでしょうか。では、私たちが神の義であるという真実(参照 第二コリント5章21節)を体験することを妨げていることは何でしょうか。
私たちは非難に値するのではなく、神の義であるのです。つまり、罪悪感により動かされるのではなく、御霊により導かれるのです。(参照 ローマ8章1節)その御霊の実の一つは平安であり、平安により、御心を知ることができるのです。(参照 ガラテヤ5章22節)
また、神様は私たちが一点に焦点を合わせて、歩み続けることを願われています。(参照 ルカ10章42節)色々と考えることがあっても、一つのことに集中することが大切です。
多くのことをあれこれ考えることで、安息へ入ることが妨げられます。例えば、キリストの様であると信じ、告白し続けることだけでも、私たちは、あらゆる思い煩いから自由を体験できます。(参照 第一ヨハネ4章17節、ヨハネ8章32節)私たちの口を通しての告白で、命を体験できます。(参照 箴言18章21節)神様は私たちの御心の祈りを聞かれます。(参照 第一ヨハネ5章14節)
今日、何よりもまず、神の義であるというアイデンティティからスタートしましょう。私たちはキリストの様であるのです。キリストが益々私たちを通して、現わされますように。
神様の豊かな祝福がありますように!
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