今朝のデボーションはローマの信徒達への手紙2章1節~11節です。
自らが常習的に行っている罪に関して、他に人に対して批判的に見るのは、偽善的であると教えられています。例えば、目上の人に対して、声を荒げる言動に対して批判的であるにも関わらず、自らがそれを絶えず行っているのであれば、その言動は誤っているという事です。継続的に行っているのであれば、先ずは考え方を代える必要があるのでしょう。(参照 ローマの信徒達への手紙12章2節)
私達は人々に対して、忍耐、寛容、優しさを以て接していますでしょうか。神様が私達に忍耐、寛容、優しさを満ち溢れる程に示されています。その憐れみを体験しているからこそ、私達は悔い改め、考え方を変え、成長出来るのです。私達は皆、神様が喜ばれない事、罪を行い、神様の御栄光には到達できないのです。(参照 ローマの信徒達への手紙3章23節)自分だけが何も問題は無く、相手だけが問題があるという考え方は正しくは無いのです。皆、至らない点を抱えているのです。罪の対価は死です。(参照 ローマの信徒達への手紙1章30節~32節)憐れみは、何でも許し、認めるという事では無いのです。このような中でも、私達が神様から体験している忍耐、寛容と優しさを、同じ様に人々に届けましょう。
神様は依怙贔屓(えこひいき)はされません。万人が同じように不完全であり、同じように万人に対して公平であるのです。私達も神様のこの御人格に倣って、相手にだけ厳しくするのではなく、自分に対しても厳しくすることが大切であるのです。つまり、自分に対して、厳しく対応し、悔い改め、考え方を変え、その道を歩む事に努めてから、相手に対してその罪を指摘しましょう。しかし、自らも不完全であるのですから、憐れみと忍耐を以て接しましょう。
神様の豊かな祝福がありますように!
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