今朝のデボーションはローマの信徒達への手紙9章14節~18節です。
神様の憐れみは、私達人類の意志や努力によるのではなく、神様の一方的な恵みである事を知る事が出来ます。
神様はファラオ王の心を頑なにされ、それを用いられ、イスラエルの民がエジプトから解放される御業を成し遂げられましたが、これはファラオ王をそのように罪の道へと導かれたのではなく、自由意志を与えながらも、本人が罪の道を選択する事を予め御存知で、それを共に働かせて益とされた(参照 ローマの信徒達への手紙8章28節)という事です。これは神様が意図される事です。ヤコブとエサウの場合も同様です。ヤコブが祝福を選び、求める事を予め御存知で、それを用いられたのです。
今日も神様の一方的な愛により、恵みが与えられ、私達は受け取るに値しない事をおぼえましょう。私達は信仰により、神様の恵みを受け取る事が出来るのです。エジプトからイスラエルの民を導いたモーセも、イスラエルと名付けられたヤコブも同様です。
神様の豊かな祝福がありますように!
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