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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

ローマの信徒達への手紙9章19節~26節 キリストのように歩む恵み


今朝のデボーションはローマの信徒達への手紙9章19節~26節です。


神様は、私達一人一人に対して、予め、目的と使命をもって創造されました。従いまして、与えられた賜物を見て、不平不満を言う事は理に適わないのです。陶芸家である神様に対して、粘土である私達は文句を言う事は出来ないのです。私達は皆、努力によるのではなく、恵みにより、能力や才能が、賜物として、予め与えられたのです。


信徒達はキリストの御体であり、それぞれが役割を担っています。御体のどの箇所も、御働きのためには重要でありますが、人前で目立つ役割もあれば、人前には見えない役割もあります。家を建てる時には、手や足は目立つ働きを担い、心臓や肺は支える重要な働きを担いますが、内側に在り、目立ちません。しかし、この目立たない、体の動きを支える働きが最も大切であるのは、お解りでしょう。そして、脳を含む頭であるキリストは、御体全体の司令官としての役割を担います。聖書のエレミヤは、創造される前から、預言者としての使命を授かっていましたから、それに必要な賜物は与えられていたのでしょう。(参照 エペソ4章9節~16節、第一コリント12章12節~27節、エレミヤ1章5節)


しかし、神様は、何が起きるかを事前に御存知の御方ですから、その知識に基づいても、選ばれます。(参照 第一ペテロ1章2節)神様はヤコブもエサウも両方とも愛されましたが、如何なる選択を二者が行うかを予め御存知でしたから、それに基づいて、二人を用いられたのです。ヤコブは神様の御約束を現わし、エサウはその反対でした。


私達のこの地上での使命は何でしょうか。与えられた能力や才能は、私達の使命を指し示します。私達の日々の選択も同様です。神様に豊かに用いられる者達は、その選択を日々しているのです。


神様の豊かな祝福がありますように!

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