今朝のデボーションは士師記16章10節~14節です。
サムソンは、ペリシテ人のデリラと恋に落ちますが、デリラはサムソンを倒すために、神様の御計画が推進されないように働きます。神様は、サムソンがペリシテ人の女性と結婚をすることを通して、ペリシテ人を倒す御計画がありました。(参照 士師記14章4節)しかし、デリラはサムソンの弱さを聞き出し、その弱さを通して、サムソンが神様の御計画を推進できないようにします。デリラは、ペリシテ人にサムソンを攻撃するように仕掛けますが、失敗に終わります。何故でしょうか。この理由の一つに、サムソンが神様に命じられたことを守り通したことがあげられます。神様は、サムソンの髪は切らないように命じられました。(参照 士師記13章5節)神様は、引き続き、サムソンを通して、豊に働かれました。
私たちが、何かに愛着を持っていても、間違った動機が混在し、それが故に、神様が私たちに与えられている御計画が推進されるのを、妨げている可能性もあります。サムソンは、デリラを愛していましたが、ペリシテ人を倒す使命から離れ、逆に倒される道を彼女を通して開いてしまいました。一見、正しいことを選択をしているように客観的には見えても、悪霊に権威を委ね、正しくない方向に進んでしまっていることはないでしょうか。神様の御計画を推進する中で、私たちは様々な選択を求められます。「YES」と「NO」を明確にして、前進し続けることが大切です。悪魔が、私たちを通して働くことに関して、「NO」とすることが大切です。
悪魔は、私たちの弱さを通して、神様の御計画が推進されるのを妨害します。サムソンは、売春婦と姦淫の罪を犯したように、女性関係にも問題を持っていたのでしょう。例えば、性的な欲望、ポルノ中毒などの悪習慣から解放されることが大切です。心の癒しを、そこから得ようとすると、空しい結果に繋がります。キリストが十字架上で私たちの罪のために死なれたことを通して、私たちは癒しを得て、体験することができます。(参照 イザヤ53章5節)私たちが追い求める成功、富、名声などは、全て、十字架上で与えられていますから、それらを追い求め、癒しを追い掛ける必要は無いのです。私たちの焦点は、むしろ、与えることに置かれるべきであるのです。ライオンのように、大胆に踏み出し、(参照 箴言28章1節)与え、人々の祝福となることに焦点を合わせましょう。
現代のクリスチャンたちは、神様の御計画を歩み通す中で、サムソンのように、わざわざ間違った選択をし、不要な試練を通過する必要は無いのです。このためにも、私たちの弱さが何であるかを知り、その本質的な原因を知ることも大切です。神様がこの問題解決のための知恵を与えてくださいますように。
神様の豊かな祝福がありますように!
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