• Tokyo Bay Bible Fellowship

第二サムエル13章28節~29節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションは第二サムエル13章28節〜29節です。 私たちが酷い事をされたときに、私たちはどのように反応するでしょうか。

神様は私たちが平和の中で歩むように教えられています。酷い事をされれば、神様が復讐を、仕返しをされると御約束されています。(参照 ローマ12章18節~19節)

神様の復讐のされ方は、神様がこの世の中を創造されたときに、完成されていたと理解して良いでしょう。(参照 へブル4章3節)具体的にはどのような意味でしょうか。

私たちの言動には必ず、良い意味でも、悪い意味でも結果が伴います。窓ガラスに石を投げれば、窓ガラスは割れます。聖書を通しても、この真実を見ることができます。私たちに酷い事をすれば、何かしらの結果が必ず伴うということです。人の悪口を陰で行えば、聞いている側は自分もされているのではと警戒して、距離を置かれることがあるでしょう。相手に暴力を振るえば、赦されたとしても、相手は警戒するでしょう。

私たちが蒔いた種は、季節が来れば、刈り取ることになります。(参照 ガラテヤ6章7節〜9節)酷い事をした人の結果は、収穫という形で訪れることもあります。収穫になりますと、根も深くなり、結果の量も多くなりますので、扱いが非常に大変になります。つまり、私たちが聖書的では無い考え方を受け入れ、それを大切に育ててしまうと、破壊的な結果を体験することになります。無意識の内に常習的に繰り返されるということになります。悪意をもって窓ガラスを割り続けるのであれば、この人の結末は社会的に縛られる結果にも至るでしょう。悪霊の意図に賛同し、人を傷付ける言葉を投げ掛け続けるならば、自らの心を守るために、直接的な関係は絶たれ、拒絶され、孤独を体験することになるでしょう。主の十字架の赦しに関して、正しい理解をしていない人は、罪悪感から自分を責め続けることもあるでしょう。(参照 ローマ8章1節)

以上の様に神様はこの世の中を創造されました。私たちに酷い事をした人々の事で頭を悩ますのは価値を生み出さないことですから、神様に委ね、私たちは満ち溢れる程に豊かな人生を歩み通すことに焦点を合わせることが大切であるのです。私たちに酷い事をした人々は、私たちが関わらなくても、十分痛い目に合っていることでしょう。

神様の豊かな祝福がありますように!


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