今朝のデボーションは第二サムエル5章6節~10節です。
ダビデは主と共にいたので、益々偉大になったと書かれています。現代のクリスチャンが益々偉大になるということはどのようなことを意味しますでしょうか。
キリストは仕える者たちが偉大になると仰せられました。(参照 マタイ23章11節)私たちは謙り、人々に仕えることの大切さは認識していることでしょう。しかし、何がこれを妨げ、私たちが神様の御目から見て偉大になるのを妨げているのでしょうか。偉大になれるのであれば、仕えることに励むことでしょう。
私たちのこの世の中で見る様々な情報が私たちを騙すことに繋がることが多いでしょう。私たちは様々な、いわゆる有名なクリスチャンの牧師、教師、音楽家を様々なメディアで目にして、憧れ、そのような生き方を無意識の内に目指しているかもしれません。彼等はセレブのように取り上げられ、ソーシャルメディアで多くのフォロワーを持ち、いいね!を獲得しています。但し、私はそのようなセレブのように取り上げられているクリスチャンの動機は分かりませんから、周囲の人々に認められ、称賛され、チヤホヤされることを目的に活動しているかは分かりません。しかし、そのような有名人たちと私たちを比較して、称賛されることを通じてアイデンティティを確立しようとするならば、私たちは誤った方向に歩むことになります。悪魔が私たちの信仰生活に入る隙を与え、神様が私たち一人一人に御計画されている満ち溢れる程に豊かな人生(参照 ヨハネ10章10節)を歩むことを妨げるでしょう。私たちは劣等感の中で歩むことになるでしょう。喜びと平安は奪われます。
また、私たちが始めた当初は純粋な動機でも、リーダーというポジションを与えられ、周囲の人々の自分への接し方などが変わると、その周囲の人々の扱い方から自分のアイデンティティを確立するという誘惑に直面します。その誘惑の道を選択すると、知らず知らずの内に、マタイ23章にキリストが警告されているパリサイ人のような態度を持ち、歩むようになります。聖書では、信仰を持ち始めたばかりの信徒をリーダーに立てないように進めていますが、(参照 第一テモテ3章6節)私たちがリーダーシップのポジションで栄えていくためには、十分な準備期間が必要であるということです。幸いなことに神様は全てを益とされましたが、(参照 ローマ8章28節)私も過去のリーダーシップの経験から、誤った選択をし、パリサイ人のような態度でリーダーシップの役割りに取り組んでいたことがあったことを認めざるを得ません。
私たちのアイデンティティはキリストに置かれていることが大切です。常に、御言葉、聖霊様の御導きに、御声に敏感になり、神様が喜ばれる選択をして、良い実を結び続けることが大切です。(参照 ローマ12章1節~2節)ソーシャルメディアのフォロワー数や人々の私たちへの称賛は天国に持って行くことはできません。私たちが天に持ち続けて行くのは、肉眼では見えないもの(参照 第二コリント4章18節)、御言葉(参照 マタイ24章35節)、愛(参照 第一コリント13章8節)、心(参照 詩編24篇3節~4節)です。つまり、私たちが天国に持ち続けるのは、この地上で育まれた人格です。私たちが人格、魂、心の成長に焦点を合わせた時、私たちはこの地上でもキリストが与えられた満ち溢れる程に豊かな人生を歩み通すことができるのです。そして、私たちは、キリストが御約束された偉大なクリスチャンとして、この地上でも栄えることができるのです。
神様の豊かな祝福がありますように!
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