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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

ヨブ20章 キリストのように歩む恵み


今朝のデボーションはヨブ20章です。

今朝の箇所では、友人の一人であるゾパルが、ヨブの状況に関して、見解を述べます。

ヨブは悪であり、プライドが高く、悪質な手段で莫大な富を得て、悪を楽しみ、これらの悪が故に健康も呪われ、神様がその富を取り上げられ、自らが悪質な手段で得た富を通して自分を呪い、貧しい人々を無視し、人々の富を強奪し、欲張りで、落ち着きが無く、これらの悪行が故に神様の怒りにより裁かれている、と伝えます。この見解は、世の中は勿論、クリスチャンの間でも一般的であるかと思いますが、如何でしょうか。しかし、真実は、ヨブは、神様が仰せられた通り、災難に直面しても、この地上に他には居ないほど、義なる者で、主を怖れ、悪に背を向ける者であったのです。(参照 ヨブ2章3節)

私たちが試練に直面したときに、先ず向かう先は神様であることが大切であるのです。人々の偏った考え方に耳を傾けてはいけないのです。悪を行えば悪を体験し、善を行えば善を体験するというのは、聖書的ではありますが、ヨブが体験していたのは、これとは異なったのです。考え方を換える必要があったのです。私たちが換えることができるのは、神様の御人格に関する考え方であり、神様の考え方と合わせ、神様の完全な、良き御計画を確かめ、知ることができるのです。(参照 ローマ12章2節)

現代のクリスチャンの考え方の基本は、キリストが2000年前に十字架に架けらて、「完成した」と仰られた時に、神様が成すべきことは全て完成された、(参照 ヨハネ19章30節)ということです。私たちは安らぐことができるのです。ですから、私たちがすべきことは、私たちの内側に住まわれる聖霊様が、流れるように、内側から外側へと私たちを導かれ、(参照 ヨハネ7章38節)それに乗っかるだけであるのです。聖霊様の実である平和を体験できるのです。(参照 ガラテヤ5章22節)恐れ、恥じらい、罪悪感などの感情が私たちを導くのではないのです。(参照 イザヤ41章10節、イザヤ61章7節、ローマ8章1節)悪の根源である悪魔(参照 創世記3章1節~7節)は、私たちの足元で既に破壊され、(参照 ローマ16章20節)その実も時と共に廃れていくのです。(参照 マルコ11章21節)神様との交わりを通じて、私たちは奇跡を、私たちの想像を超えることを体験することができるのです。(参照 エペソ3章20節)現代の信徒たちは征服者、勝利者以上の存在であるのです。(参照 ローマ8章37節)悪魔の活動などは物ともせずに、前進し続けましょう。

このことをおぼえて、今日も一日を歩み続けましょう。

神様の豊かな祝福がありますように!


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