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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

ルカ12章13節~15節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションはルカ12章13節〜15節です。


この世の中は所有物が多ければ、多いほど、豊かであると定義する傾向があります。しかし、キリストは、満ち溢れる程に豊かな人生は、私たちが何を所有しているかとは無関係であると語られました。私たちの真の満ち溢れる程に豊かな信仰生活、人生は、私たちの内側に住まわれるキリストが、私たちの信仰生活の実として現れたときに体験できるのです。(参照 第一テサロニケ5章23節)


私たちは周囲の人々の言動で気分を害され、その害された心で物事を選択して、行動に移す傾向があるでしょう。まして、コントロールすることのできない他人の私たちへの言動などに振り回されていては、自分で自分の心を害し、更に酷い状況に陥るでしょう。しかし、これはパリサイ人たちがキリストの御言葉に心を害され、キリストを十字架に架けるに至った経緯と同じです。(参照 ルカ11章53節~54節)つまり、私たちはこの悪サイクルを避け、抜け出すことが大切です。私たちは物を購入することを通して、ストレスを発散しようとする傾向があるでしょうが、私たちに真の自由を与えて下さる御方に依り頼むことが何よりも大切です。(参照 ヨハネ8章32節)


キリストは十字架に架けられ、無抵抗で、攻撃を受け続けました。マルコ11章25節で用いられている「赦す」という御言葉のギリシャ語はaphiémiで、許可する、苦しむという意味が含まれます。私たちが人々に酷いことをされることを許可し、苦しむということは勇気が求められることです。しかし、キリストは私たちに恐れるなと教えられています。この「恐れるな」という御言葉がルカ12章7節で用いられていますが、ギリシャ語でphobeóで、身を引く、逃げる、避けるという意味があります。つまり、人々の言動に気分を害されることを承認し、恐れずに受け止め、通過することを教えられているのです。

キリストは十字架に架けられ、忍耐し、軽蔑し、その後に昇天して、天の御父の右の座に座られています。これは、架けられているときは苦しくても、後の喜びのために通過されたのです。(参照 へブル12章1節~2節)復活の御恵みは、真実は、私たちが逃げたくなるような状況を敢えて通過することを通して、体験できるのです。キリストはこのようにして、復活という新たな御恵みを体験され、ブレイクスルーされたのです。何という素晴らしい御恵みでしょうか。


私たちが次に前進するのを妨げているものは何でしょうか。ブレイクスルーは誰でも体験したいことでしょう。私たちが苦手とすること、逃げ出したいと思い、感じるような状況を避けては、私たちは神様の素晴らしい御恵みを体験する機会を逃してしまいます。恐れの感情があっても、逃げずに、向き合い、前進し続けるのです。嫌な状況を自分で操作することはできないのです。手放し、神様の救いの御恵みを体験しましょう。(参照 ルカ9章24節)


今日、何よりも大切な霊的なブレイクスルーを内側から体験しましょう。私たちの心が栄えるとき、全てが栄えるのです。(参照 第三ヨハネ1章2節)物を所有する以上の素晴らしい御恵みを体験できるのです。


神様の豊かな祝福がありますように!


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