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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

ルカ3章1節~6節 キリストの様に歩む恵み



今朝のデボーションはルカ3章1節〜6節です。


バプテストのヨハネは、キリストがこの地上でのミニストリーを推進するための備えの使命を与えられ、誠実に全うしました。


私たちが与えられている使命が、ストーリーの中心的な存在ではなく、備えや支えるものであっても、誠実に取り組み、全うしますでしょうか。神殿を建築したのはソロモンであり、ダビデではなく、(参照 第一歴代誌22章8節〜10節)御約束の地へと導き入れたのはヨシュアであり、モーセではありませんでした。(参照 ヨシュア1章1節〜2節)神様の壮大な御計画の中で、この時代に必要とされている、私たちの使命は何でしょうか。


教会の中でも、信徒たちには異なる役割が与えられています。目立つ立場ではなくても、誠実に仕えますでしょうか。しかし、真実は、体の見えない箇所が、命を支えているのです。脚が無くても、心臓があれば、生命は存続します。


教会の中での役割として、預言、仕えること、教えること、励ますこと、与えること、リーダーシップ、憐れみ、(参照 ローマ12章6節~8節)知恵、知識、信仰、癒し、異言、(参照 第一コリント12章8節~10節)使徒、奇跡、助ける、管理、(参照 第一コリント12章28節~30節)伝道、牧師(参照 エペソ4章11節)などが聖書では記載されています。私たちの使命が何であるかを神様に示していただきましょう。助ける、管理する賜物が機能しているからこそ、教える、牧会する賜物が生かされるのです。


私たちがこのようにして用いられるのを妨げるものは何でしょうか。人間関係での傷もその一つでしょう。私たちは酷い事をされたとき、その人に対して悪い感情を抱くのは自然かもしれませんが、良い点に関して焦点を合わせることをしてみましたでしょうか。聖書では、優れ、賛美に値するものを考えなさいと教えています。(参照 ピリピ4章8節)愛しにくい人々を愛することには価値があります。(参照 ルカ6章32節)その愛しにくい人々の良い点に焦点を合わせることにより、私たちの心にも喜びと平安が与えられます。その人々を信頼して、良いことを期待することも大切です。(参照 第一コリント13章7節)このような選択は、常識的には難しいことかもしれませんが、私たちが自分に死ぬ選択をしたとき、キリストの復活の御恵みを体験できるのです。(参照 第二コリント4章8節~12節)このようにして、私たちの人間関係による摩擦は、私たちに対して酷い事をした人ではなく、悪魔の霊から来ていて、それに対処する知恵を得て、行動に移すことが求められるのです。(参照 エペソ6章12節)私たちに対して酷い事をした人々は、そのことすら記憶していない可能性も高いのですが、その人々は逆に恥をかく事になるでしょう。(参照 ローマ12章20節~21節)


今日も私たちに与えられた使命を神様に示していただきましょう。信徒たちには御霊の実である平和が与えられています。神様はこの平和を通して導かれます。私たちが喜んで全うできる使命です。(参照 ガラテヤ5章22節)そして、何よりも大切な愛により、(参照 第一コリント13章13節)この働きを妨害する要素を処分しましょう。


神様の豊かな祝福がありますように!


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