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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

ローマの信徒達への手紙6章15節~19節 キリストのように歩む恵み



今朝のデボーションはローマの信徒達への手紙6章15節~19節です。


私達は、霊、魂と体で創造されていますから、キリストの霊に導かれ、魂、つまり、頭や心で選択し、体で行動する事を選択できます。(参照 第一テサロニケ5章23節)この構成は、神様の霊に導かれる事もあり、悪霊に導かれることもあります。つまり、私達は死に至る罪の奴隷になるか、義に至る正しい教えに従うか、つまり、義の奴隷になるかを選択する自由が与えられています。


新しい霊を、命を授かった者として、義の奴隷として、様々な能力、賜物を用いましょう。神様の目的と合わせるという事は、このような選択であるのです。更には、奴隷になれば、如何に私達の意志が反していても、奴隷として、主人に従う義務があります。信徒達は、如何なる状況でも、義の奴隷として、正しい教え、考え方を選択し続ける事が求められるのです。私達が賜物として与えられている能力を、如何にして用いていますでしょうか。神様の御国が前進するために用いていますでしょうか。もしくは、自分の快楽だけのために用いていますでしょうか。キリストは、昇天される前に、信徒達に、全世界に出て行き、福音を宣べ伝えるように命令されました。(参照 マルコ16章15節) 信徒達は、その命令に従う義務があるのです。義の奴隷であるからです。神様が先ず、私達を愛されたから、私達も人々を愛すると書かれています。(参照 第一ヨハネ4章19節)私達にはこの選択をする義務があるのです。しかし、私達が義務として行うという事は、この選択をする事を通して、実際に信仰生活を歩む事を通して、喜びを体験出来る事が解るでしょう。(参照 ローマ14章17節) 義務であるこの選択が、真実は、私達にとって最善である事が解るでしょう。義の奴隷として歩むという事は、信仰により、歩む事です。(参照 ローマの信徒達への手紙1章17節) 気が向かなくても、義の奴隷として、信仰により、歩むとき、安らぎを体験出来るのです。(参照 へブル人への手紙4章3節)安らぎこそ、私達人類が、今最も必要として、求めているものでは無いでしょうか。如何にお金持ちでも、高学歴でも、ビジネスが成功していても、安らぎを勝ち取る事は出来ないでしょう。信仰により歩む時のみ、私達は安らぎを体験出来るのです。


今日も義の奴隷として、歩み続ける選択をし続けましょう。御言葉を信じて歩む時、私達が最も必要としている安らぎを体験出来るのです。安らいでいるか否かが、義の奴隷であるかの判断基準であるのです。


神様の豊かな祝福がありますように!


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