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  • 執筆者の写真Tokyo Bay Bible Fellowship

第一サムエル25章39節~42節 キリストのように歩む恵み



今朝のデボーションは第一サムエル25章39節〜42節です。


神様は私たちに自由意志を与えられていますが、それ故に神様が喜ばれない選択をすると、その悪い報いも受けるのです。ナバルの死はその一例でした。ダビデは神様に委ね、何もすることなく、ナバルは滅びたのです。私たちが酷い扱いを受けて、仕返しを試みるのは時間の無駄であり、空しい選択であるのです。神様に委ねるということはこのような意味も含まれているのです。


私たちは人々に仕えることができますでしょうか。もしくは、自分のような者は、人々に仕えるに相応しくないとして、仕えない選択をしますでしょうか。私たちが人々に仕えない理由の一つとして考えられるのが、自分のアイデンティティに関して抱える不安の問題でしょう。私たちはが与えられている社会的な位置に自らのアイデンティティを置くならば、社会的に低いと理解する行動を避けるでしょう。しかし、私たちはキリストの様でありますから、(参照 第一ヨハネ4章17節)信仰により、人々に仕えることができるのです。


今日も酷い扱いをされても、神様に委ねましょう。そして、人々に仕える機会があれば、自らのアイデンティティを顧みて、仕える選択をしましょう。


神様の豊かな祝福がありますように!



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